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執筆者の写真Keiju

Wayan Gandra

更新日:2020年6月10日

自分が自分が今までの人生で一番の影響を受けた


バリ島の師匠のお話です・・


WAYAN GANDRA

2003.8.28

WAYAN GANDRA ワヤン ガンドラ僕のであったARTISTの中でも TOP中のTOPであった その個性 人格 作品、、、、 バリの光のような人であった。 僕は彼に出会い すごく大きな成長をすることができた 僕にとって本当に大切な人物である。 そして先日 友人の知らせで彼が亡くなったことを知った。、、、、、、またである。

彼に出会ったのは 1989年頃だったと思う。 あのころは何かを飢えたように求めて、旅をしていた。 自分の音楽を作りたいという強力な欲求を持っていた。 そして初めてのインドネシアへの旅。マレーシアのペナン島より、フエリーでスマトラへ渡り 陸路でジャワ島へ向かった そしてバリへついた。 音楽の中心地といわれる プリアタンにホテルを決め 毎晩毎晩取り付かれたように 踊りとガムランの パフオーマンスへ行った。そしてそのバリガムランの圧倒的なパワーに 毎晩びっくりしていた そして僕の師 ガンドラの率いる グヌングサリに出会った。それは別格の物だった。 僕は本当に最初の一発の音でいすから落ちそうになるくらいだった。 その1瞬の音が すごい密度で発されたのだった、、、 口で表現するのは難しいが、、 すごい気がぱっと出たわけである。 僕はその日のグルングサリのコンサートの間中 その中心で華麗に太鼓を演奏するガンドラ師の手さばきに 見とれていた。 それは蝶が舞うような手さばきで ガムランオーケストラの音を指揮しているのだ。。 今まで聞いたどんな音楽よりの 華麗で 迫力があり そして緻密だった たった5つの音階で どうしてあんな音が生まれてくるのか 、まったくわからなかった。どんな現代音楽よりも 複雑なハーモニーが鳴っているのだ、、、、そして圧倒的なリズム。 紛れもないASIAのリズムだった。僕は自分の意識が天に昇っていくような気さえした。

僕は演奏後 まっすぐにステージに登り 彼の前に行き。僕の感動を伝えた そして弟子にしてくれと頼んだ。彼は、家にいらっしゃいと 快く答えてくれた。それから僕は彼の家に ちょくちょくお邪魔させてもらうことになった。素晴らしい時間が始まった。

彼はその時 おそらく60歳前半ぐらいだったろうが、一際気品のあるおじ様だった。 男前と言っていいだろう。 彼の娘さん3人が そのグループで踊っていたが 皆かなりの美人であった。 とにかく彼には気品というものが 常にあった。 家で気軽な服を着ているときにも 何か違うのだ。 ステージの上ではまさに別格であった。手さばき 目などですべてを使いオーケストラを指揮していた。 僕は彼のその気に完璧に魅せられてしまったのだ。

最初に彼の家に行った 彼は王家の血を引く人間だったが 意外と質素な家に住んでいた。 他の王家の方々は 其れはすごい御殿のような家に住んでいるのだが、、、、。そして居間にとうされた。そこには素晴らしい額に入った これまた素晴らしい絵が飾ってあった。 いわゆるバリ絵画だが その中でも一際違うものだった。 其れもなんと彼が書いたものだった。 すばらしい黄色を基調にした絵だった のを覚えているが。彼は 音楽以外にも 絵画 踊り 医学などにも通じていたのだ。 

つづき


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